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自己紹介を兼ねて「佐野由布子とフラメンコ」のお話をさせて頂きます。
人生と言うほど生きていないと思いますので、この言い方はあまり好きじゃないのですが、言葉が見つかるまでは失礼させて頂いて、「フラメンコの人生が始まるまで編」「フラメンコとの出会い編」「フラメンコ修行編」「フラメンコ留学スペイン編」等と順番に書いていこうと思います。

長いお話になりそうなので、書き続けられるかどうか不安ですが、もしも、このお話で元気になっていただける人がいたり、フラメンコを始めたかった方の背中を押すことができたり、暇つぶしになって頂けたらと、希望的観測のみで始めます。

 

フラメンコの人生が始まるまで編-1  ~始まりの始まり~

 

静岡県の富士山のここから始まりますという地点、富士宮市の商店街、

浅間神社の門前町である宮町の洋服屋の長女として産まれました。

山梨の生糸工場の娘であったお婆さんと、その従兄弟であるお爺さんは

従兄妹同士、昔の日本の伝統らしい家系の娘です。

 

お爺さんの始めた「佐野洋服店」は、東京の銀座で紳士服の仕立て屋で

静岡県の田舎では当時は珍しかったそうです。

父は2代目、その娘の私は3代目として、跡を継いでいる筈だったのですが、

ご存知のとおりのフラメンコ・ダンサーとしての人生を送らせて戴いております。

 

少し、亡き母の話に触れさせていただきます。

当時、母は24歳、祖母の生家の近くの苗木屋の末娘の母は佐野洋服店に

嫁に来ました。

母が嫁いだ時には、お爺さん、お婆さん、もちろん父の他に父の弟、

父の5人の妹、住み込みの職人さんが数名、常時13人以上の大家族、

当時の若かった母はどのようにその時代を送っていたのでしょう。

 

昨年、父の遺品から母の昔のアルバムを貰ってきました。

まだ若くかわいらしい母と父。

古い古い白黒写真です。

01

私が誕生するまでには、この結婚式から12年余りの歳月が経っております。

死産というのも、当時は今よりもずっと多く、私の誕生する前には何人かの

兄、姉がこの世に命を授かる筈でありました。

 

妊娠、出産のための入院、流産と死産を幾度も幾度も繰り返した母から

私が産まれたのは、母が36歳を超えてからの3月3日。

待ちに待ちくたびれて、やっと元気に産まれた私を見た時の、父の一声は、

「なんだか、猿みたいな赤ん坊だな」 だったそうです。

 

私の誕生してからのアルバムもありました。

なるほど、自分で見ても愛くないと思う、しかめっ面をした強そうな猿顔の赤ん坊と、

おだやかに笑う嬉しそうな母が、そこには映っておりました。

 

母は、20年前に脳出血で亡くなりましたが、母が、どれほど大きな私に愛を

持って私に接してくれていたか・・・・・!

洋服屋の仕事で忙しくしていた彼女と私は、接する時間こそあまり沢山は

持てなかったけれど、それだけに、どれだけの想いを私にかけてくれていたか、

最近になってようやく母の気持ちを想像できるようになってきました。

 

母の話をすると、懐かしさがあふれ出てきて、中々パソコン画面を見ることが

困難になってしまいますので、この辺で切り上げさせて頂きます。

 

今回は、我侭一杯に育ててもらった、私の誕生までのお話でした。

次回は「我侭娘踊り始める」を書きたいと思います。

 

拙い文章とお話にお付き合い頂きましてありがとうございました。

 

 

Flamenco 佐野由布子 3,mayo,2013

 

 

 

 

 

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